人は何故ミラマーレ城を目指すのか。その5、庭が無いなら作ればいいじゃない編

お久しぶりのミラマーレ特集、今回はお城を取り囲む、というには広すぎる公園のお話です。
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お城の主マクシミリアンが植物学に詳しく、ほとんどマニアと言ってよいほどの情熱を注いでいたのは前に書きました。そんな彼が、自分のお城の周りを他人に任して放っておくわけありません!ハプスブルグ家きっての庭師を招聘し、自分も口を挟みつつ公園の設計を始めます。

今からすると想像もできませんが、ミラマーレ城のある岬は、ところどころにブドウ棚があるくらいで、岩っぽいゴツゴツした地表だったそうです。そこに、まず木を植えまくりました。それもただの木ではありません、ヒマラヤ杉にカリフォルニア・セコイア、中国原産の銀杏にメキシコの糸杉・・・世界中から集めてきた珍しい植物たちです。木が無いところに森を作るなんて、ここまでくると脱帽ですね。マニアが金持ちだとすごいことができるものなんですね。笑。植物にやる水が足りないと分かるとわざわざフランスから水道・井戸工事の達人を呼んで来て井戸を掘らせました。
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マクシミリアンはなんとオレンジ畑も作らせたそうですが、1860年の冬が特に厳しい冬だったそうで、見事に失敗に終わりました。

庭のプロジェクトを最終的に任されたのはAnton Jelinekという人だったのですが、この人はマクシミリアンの肝いりで行われたノヴァーラ号での世界一周(1857年4月~1859年8月)にも参加し、200種類もの異国の植物の種を持ち帰りました。1859年末から1864年の初頭まで、彼がマクシミリアンにミラマーレ公園の進捗状況を欠かさず報告していた手紙が残っています。
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このようにして荒れた土地を緑に染め上げた後、人工池や花壇、アーケードに噴水・・・などの設備もどんどん整えていきました。メインの花壇は左右対称の典型的な西洋庭園ですが、実は近年手入れが行き届いておらず、悲惨な状況なのを放置されていました。政治家や行政機関が責任をなすりつけ合ってすったもんだした挙句、今はまた少しずつ復活してきているようです。
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現在でも、公園は入場無料で散歩などを楽しむことができます。こちらは、マクシミリアンとシャルロッテがミラマーレ城の完成前に住んでいた、カステッレット(小さいお城)と呼ばれていた建物。マクシミリアンは愛着を込めて「庭師の家」と呼んでいました。
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海沿いを歩いていき、少しわかりにくい細い階段を降りると、この大砲がある場所に出ます。
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この大砲は二人の結婚祝いにベルギー王から贈られたもの。二人の若者のシンボル入りです。
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ここから、ミラマーレ城を眺めることもできます。あれ、この大砲そっち向けてちゃだめじゃない?笑。
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こちらは、ミラマーレ公園が作られる前からあったと言われる古い礼拝堂。
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庭園のメインとなる花壇の奥にはカフェがあり、落ち着いてコーヒーを楽しむこともできます。こちらの庭園、何度か入場が有料になりそうになったのですが、住民の猛反対にあい現在も入場無料で落ち着いたようです。1864年4月10日付のマクシミリアンの手紙に、公園を市民に開放するという文面があるそうで、そう考えると歴史があります。笑。僕も学生時代は、よくブラブラしに来てました。本一冊持って、適当に散歩して、疲れたら海が見えるベンチにでも座って本を読む・・・贅沢な時間でした!ありがとうマクシミリアン!

これにて、ミラマーレ特集はほぼ終了です。次を最後の記事としてアクセスの方法を詳しくご紹介しようと思いますので、お見逃しなく!

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by mitsugu-ts | 2018-08-08 16:37 | 続・トリエステの歩き方 | Comments(0)

イタリアの東北、風の街トリエステで生活するコントラバス弾きmitsuguのブログ。トリエステ情報や音楽、コントラバスに関する考えをまとめています。ときどき近況も。どうぞよろしく!


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