人は何故ミラマーレ城を目指すのか。その4、見栄を張るのも大変だ編

マクシミリアンとシャルロッテの居住区の後には、一区切りを入れるようにお城の設計図やボツになったプロジェクトを集めた資料室があります。
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こちらは、ボツになったアイディア図の一つ。この図では、一階分高くなっています。
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本当かどうか、最初はこれでいこうとしていたところ、財政難で実現できずに今の高さに落ち着いたのだとか。1000年続いた名家とはいえ、フランス革命を通り抜けたヨーロッパでは帝国という国の形はすでに時代遅れで斜陽の日々、無尽蔵にお金があったわけじゃないんですねー。資料室の後は小さな礼拝堂(12使徒の絵が特徴)と、
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こちらのちょっとした広間が続きます。今はビデオでお城の歴史の説明を流していました。
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この上の写真の天井にある丸いもの、「Rosa dei venti(風の薔薇)」と呼ばれており、お城の塔にある風向計と連動して風向きを表示するというちょっとしたハイテク機器です。

これにて一階部分は終了、入場してすぐに通り過ぎた大階段から、2階へと上っていきます。
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この階段を守護しているのが6人の若い兵隊。ハプスブルグ家の隆盛を決定づけたマクシミリアン一世(1459~1519)の時代の衣装を身につけています。
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お、ここにもパイナップル発見。
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2階部分の最初のほうは、昔は使用人のための住居でした。1930年ごろからイタリア人の貴族アオスタ候が住み始め、第二次大戦後にはアメリカ軍の指令所として使われた歴史もあります。あまり面白い部分では無いので、近代の歴史に興味がある方以外は、さっさと通り過ぎると良いでしょう。笑。ふたたび階段広間を通り抜けた先が、主にお客様用の部屋でした。もちろん内装は見栄のかたまり、一気に派手に、けばけばしくなります。
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「皇太子たちの部屋」「支配者の部屋」と続きます。支配者の部屋には、マクシミリアンと同時代の各国の統治者の肖像画が壁一面に飾られています。
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続いての「謁見の間」には、マクシミリアンとシャルロッテに近縁の人々の絵が飾られています。「シシィ」という愛称で親しまれている皇帝の美貌の妻エリーザベトもこちらに。大河ドラマの主人公のような人気を誇っています。
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エリーザベトと皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が初めてミラマーレ城を訪れたのは1861年の5月18日。3泊だけの短い滞在でした。シャルロッテとの相性は悪かったエリーザベトですがお城そのものは気に入ったのか、マクシミリアンもシャルロッテもいなくなった後の1869年から1896年にかけて、14回も立ち寄って滞在したそうです。

続いての「会話の間」には、ミラマーレに入居したころ(1861年)のマクシミリアンとシャルロッテの肖像画があります。これから彼らが迎える運命を思うと、感慨深いものがあります。
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この時代はまたオリエンタル趣味の時代、日本も鎖国を解いたころです。続く二部屋は中国趣味の部屋と日本趣味の部屋。うーん、日本・・・?笑。
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続いて歴史の部屋、ミラマーレ城で起こった様々なイベントの様子を描いた絵が飾られています。左はメキシコ皇帝への着任依頼の使者たち、右はフランツ・ヨーゼフとエリーザベトの訪問です。よく見るとシャルロッテとエリーザベトがあまり親しげでない様子で挨拶を交わしているのが分かります。笑。
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そしてついに、玉座の間。このお城のメインの大広間です。
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本来はここにメキシコ皇帝としてのマクシミリアンの大きな肖像画があるのですが、2018年には特別展のために別の建物に移されています。

皇帝の重責は兄のフランツ・ヨーゼフに任せてオーストリア海軍として好き勝手していた日々は既に昔の話、マクシミリアンも否応なしにヨーロッパの政治に引きずり込まれていきます。当時、メキシコを何とかしてヨーロッパ人の手で支配しておきたいと考えたナポレオン三世が、マクシミリアンに「どうだい、いっちょメキシコの皇帝になってみないか?」と提案をするのが1861年10月。マクシミリアン自身は今の生活を変えたくないので渋っていたのですが、そこでシャルロッテが「あなた、わたしは皇后になりたいわよ!」と説得にかかり、1863年10月についに引き受けてしまいます。

1864年4月にはフランツ・ヨーゼフがトリエステを訪れ、メキシコ皇帝になる以上はオーストリア・ハンガリー帝国での権利を全て放棄することを確認し、メキシコ皇帝として正式に就任。お気に入りの船「ノヴァーラ号」でバチカンを通って法王の祝福を受けた後、メキシコへ。

メキシコでは現地人とヨーロッパからの支配層の間の対立で混乱する国を何とか治めようとしますが、やはり帝政はすでに時代遅れ、誰からの理解も得られないまま政局はさらに混乱。内乱状態に陥ったところへアメリカからの圧力などもあり頼みの綱のフランス軍が1867年5月に撤収。6月にマクシミリアンは銃殺されてしまいます。

いよいよ危なくなる前にシャルロッテは1866年7月ヨーロッパに帰り、可哀そうな夫の助け舟を探すべくヨーロッパ中の実力者と面会を重ねていました。しかし努力の甲斐なく夫は銃殺され、短い期間を一人でミラマーレ城で暮らした後、精神に異常をきたしベルギーに里帰りしました。
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マクシミリアンのメキシコ皇帝戴冠は、誰が見ても人身御供としての色合いが強いものでした。当時の文化人が何人も、詩や絵画の形でこの政治的な駆け引きを批判していました。ナポレオン三世も、メキシコでの状況が厳しくなるとマクシミリアンに逃げ帰ってくることを提案しましたが、当の本人が「自分の民を見捨てて逃げることはしたくない」と馬鹿正直にメキシコに残ってしまったのです。

そのような経緯で、このミラマーレ城がマクシミリアンとシャルロッテが短い間の幸せを過ごした最後の忘れ形見としての意味を持つようになったのです。今でも、「付き合って一年以内のカップルが行くと不幸になる」とか、「カップルが一夜を明かすと、不幸になる」などの噂があります。少し歴史を勉強すると、ただケバケバシイと思っていたお城の内装や絵なども、命がけで見栄を張って生きる必要があった人々の形見として、面白く見えてくるものです。名家に生まれるのも考え物ですねー。

これでお城の内部は終了、次はお庭の様子です。

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Commented by Wadako at 2018-07-13 13:02 x
こんにちは。とても詳しい、細部にわたるご紹介を頂いているので、忘れかけていたことを思い出しますねー。最後に、ミラマーレ駅の建物もご紹介願えますか?行きつけだったパン屋さんの奥さんが、あの建物を背景にした婚礼写真を店内に飾っていましたね。
Commented by mitsugu-ts at 2018-07-14 04:28
> Wadakoさん
なるほど、ミラマーレ駅も面白いですね!写真は撮り忘れましたが、早めに撮りに行ってミラマーレ公園編に組み込みたいと思います!
by mitsugu-ts | 2018-07-12 16:49 | 続・トリエステの歩き方 | Comments(2)

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