ボッテジーニの「メンデルスゾーン風」に関する(これまたマニアックな)考察、その2。

さて、「メンデルスゾーン風」に関する記事の続きです。前の記事はこちら

この曲の作曲年も多くの他のボッテジーニ作品と同じように不明ですが、同じ自筆譜に含まれている他の曲を鑑みると、キャリア後期の作品かと思われます。メンデルスゾーンのオリジナルの方は1845年に初演なので、それ以降なのは確実です。

この曲は、確かにメンデルスゾーンの有名なバイオリン協奏曲の第一楽章を換骨奪胎したものであるのは間違いありません。パッと分かるだけでもどんな共通点があるかというと、

1 曲の調、両方ともホ短調(ボッテジーニの方にはチューニングの都合でヘ短調もあり)
2 第3のアイディアを含むソナタ形式
3 いきなり始まる第1主題、伴奏が導入する第2主題
4 独奏カデンツァが楽章の真ん中に!
5 カデンツァからの脱出部分、ソリストのアルペッジョに重なるオケによる主題

とスルスルと思いつきます。

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ボッテジーニとメンデルスゾーンは親交があったのか?と考えると、残念ながら可能性は低そうです。メンデルスゾーンは1829年を皮切りにイタリアを含むヨーロッパを巡ったようですが、その時にはボッテジーニはまだほんの子供です。その後メンデルスゾーンはイギリスでも活躍しますが、没年の1847年まではボッテジーニはまだ北イタリアでの成功とアメリカへの旅立ちの段階で、ボッテジーニの名声がイギリスで高まるのはもう少し後のことになります。

後にボッテジーニと多くの演奏会を共にするチェロ奏者のPiattiはメンデルスゾーンと面識があったそうなので、その辺の繋がりや、ボッテジーニがイギリスでの売れっ子だった時代に、メンデルスゾーンの作品や評判に触れたのでしょう。ワーグナーがメンデルスゾーンを否定した騒動(1850年)で、メンデルスゾーンは死後もヨーロッパ音楽会の話題の的だったようです。同じくワーグナーと対立していたヴェルディとも深い関係があったボッテジーニが、ワーグナーが否定するメンデルスゾーンを持ち上げるために作曲のオマージュをしたというのは、考えすぎでしょうか。

いずれにせよボッテジーニがメンデルスゾーンの作品を愛していたのは間違いないようで、ボッテジーニの死の直前にパルマで行われた室内楽コンサート(1889年6月9日と18日、ボッテジーニ自身は演奏せず。ボッテジーニの命日は同年7月7日)にも、ボッテジーニが弦楽伴奏をアレンジしたメンデルスゾーンの伴奏つきピアノ曲「Serenata ed Allegro giocoso, op.43」がプログラムに入っています。

メンデルスゾーンの超名曲を、コントラバスに合わせて、でも似たような曲を作曲してしまったボッテジーニ。現代の奏者は色々とチェロやバイオリンの協奏曲をそのまま(かなり無理をして)コントラバスで弾いていますが、それに比べてスマートでレベルが高いと思うのは、ひいき目ですかね・・・。

ようやくまとまりました!曲の長さ(一曲にしては長い、協奏曲としては短い)とかっちりした形式が僕の性に合わず、今まで敬遠していたこの作品ですが、今年度は頑張ってこいつを練習します!

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by mitsugu-ts | 2017-09-11 03:25 | ジョヴァンニ・ボッテジーニ研究 | Comments(0)

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