「国際人」を考える。
2014年 01月 15日
イタリア、とりわけここトリエステに長いこと暮らしているおかげで、ずっと頭の隅に引っ掛かっている言葉があります。それが、「国際人」。 要するに、インターナショナルなパーソン、という事なのですが、では自分は国際人か?という問いを自分に投げかけてみる訳です。
どんな人をもって「国際人」と呼ぶか?まず思い浮かぶのは、言語の問題を超越した人。ヨーロッパには昔から言語の天才と呼ぶしかないような人が時々いて、そんな人は5、6ヶ国語をいとも簡単に操ってしまうのです。陸続きで色んな国が共存するヨーロッパならではの現象ではないでしょうか。
僕は、日本語とイタリア語と、ぎこちないながらも英語、と3ヶ国語がやっとです。日本標準なら国際人ですが、ヨーロッパ・スタンダードからするとまだまだ全然。
それに、言葉が喋れれば国際人、というのも違う気がします。やはり様々な文化・慣習を消化してこその国際人でしょう。僕はほとんど帰国せずにこちらに7年住んで、色んな経験をして、ようやくこちらの文化を「日本人としての偏見を入れずに」「肌で」感じられるようになった、と思っています。表層的には、国際人に近づいている気もします。しかし、ここがややこしいのですが、これだとただ「日本人」から「イタリア人」に向かって移行しているだけなんじゃないか、と思うのです。「日本人としての偏見を加えず」イタリアの文化を「肌で」感じながらも、自分の中の「日本人性」を自覚する、という相反する方向性を使いこなしてこそ、ようやく国際人の第一歩なんじゃないでしょうか。 トリエステは国境の街だけあって、スロヴェニア系やセルビア系のイタリア人もたくさんいます。そんな人(僕の友人なので、若者たち)に「君は自分をスロヴェニア人だと感じるか、イタリア人だと感じるか、どっちの気持ちが強いんだい?」と訊いてみても、大概は「わからない」という答えでした。こんな人を「国際人」と呼ぶのも、違う気がします。やはり自分の原点(母国)を確立しつつ、他の文化を受け入れているのが「国際人」なのではないでしょうか。 なぜこんな小難しい事を考えていたかというと、ビールを飲んでいたからなんですね。笑。個人的には、僕は真の国際人を目指したいと思っています。島国日本の人たち(僕を含む)は、国際人になるのはどうしてもハンディキャップがあるんだと思います。日本人としての考え方、というのは、実はかーなり根強いものなんだと、最近になってようやく分かってきました。
さーて、手始めに、日本から送ってもらった「単語帳」を使って、イタリア語の勉強に励みます!目指せ、国際人!
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どんな人をもって「国際人」と呼ぶか?まず思い浮かぶのは、言語の問題を超越した人。ヨーロッパには昔から言語の天才と呼ぶしかないような人が時々いて、そんな人は5、6ヶ国語をいとも簡単に操ってしまうのです。陸続きで色んな国が共存するヨーロッパならではの現象ではないでしょうか。
僕は、日本語とイタリア語と、ぎこちないながらも英語、と3ヶ国語がやっとです。日本標準なら国際人ですが、ヨーロッパ・スタンダードからするとまだまだ全然。
それに、言葉が喋れれば国際人、というのも違う気がします。やはり様々な文化・慣習を消化してこその国際人でしょう。僕はほとんど帰国せずにこちらに7年住んで、色んな経験をして、ようやくこちらの文化を「日本人としての偏見を入れずに」「肌で」感じられるようになった、と思っています。表層的には、国際人に近づいている気もします。しかし、ここがややこしいのですが、これだとただ「日本人」から「イタリア人」に向かって移行しているだけなんじゃないか、と思うのです。「日本人としての偏見を加えず」イタリアの文化を「肌で」感じながらも、自分の中の「日本人性」を自覚する、という相反する方向性を使いこなしてこそ、ようやく国際人の第一歩なんじゃないでしょうか。
さーて、手始めに、日本から送ってもらった「単語帳」を使って、イタリア語の勉強に励みます!目指せ、国際人!
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戸田
at 2014-01-16 18:15
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真の国際人目指してがんばれ!
酒飲んで哲学的な思考を働かすのも楽しいね!
酒飲んで哲学的な思考を働かすのも楽しいね!
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milletti_naoko at 2014-01-17 04:33
みつぐさん、わたしは国際人というのは、自国の文化を深く知りつつ、他国の文化を、いけないものはいけないのですが道徳に背かずだれかを傷つけない範囲であれば、寛容に受け入れ、必要があれば、相手の視点や文化的背景も知りつつ、互いに意思の疎通が出来る人のことではないかと思います。お互いに国際人目指して頑張りましょう! 日本の枠にも、ヨーロッパの枠にもとらわれない、真の国際的視点というのは、なかなか難しいけれども。
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mitsugu-ts at 2014-01-17 22:52
戸田、昔から俺は酒を飲むと変に考え込んだり、難しい話を始める癖があったよなー。またどっかで一献できる日を楽しみに!
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mitsugu-ts at 2014-01-17 22:55
なおこさん、まったく枠にとらわれないというのは実に難しいですね。きのう音楽史の先生が雑談のついでに言っていた言葉が印象に残ったのですが、昔の映画の一節だそうです。「君は他人の意見から、そして何より自分の意見から自由になれると考えた事はないかね?」
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pino
at 2014-01-20 14:12
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昨日の毎日新聞の書評に、 『日本語に生まれて』=中村和恵・著 ってのがありました。若島正さんが評されてます。なかなか面白かったですよ。
それによると、
「著者は日本語に生まれた我が身を想(おも)う。日本語とは「日本国内の需要供給のみに頼って経済活動が成立しうる、絶妙な話者数を抱えた言語」であり、翻訳の恩恵によって、日本語だけで相当の知識を得ることができるという点で、日本は「非西洋言語圏では数すくない幸運な言語事情の国」だと著者は書く。しかし、「日本語でわたしたちは残念ながら、日本以外の国の人々に語りかけることがほとんどできない」。そのかたわらで、著者は日本語を手放すことができない。」
「「日本語でぎりぎり手の届く、ある不明瞭な領域に、英語では手が届かない気がする」ことから、著者は日本語で書くことの意味を考えようとする。」
とかとか。思いっきりコピペしました。すみませーん。書評の全文はこちら↓
http://mainichi.jp/shimen/news/20140119ddm015070007000c.html
それによると、
「著者は日本語に生まれた我が身を想(おも)う。日本語とは「日本国内の需要供給のみに頼って経済活動が成立しうる、絶妙な話者数を抱えた言語」であり、翻訳の恩恵によって、日本語だけで相当の知識を得ることができるという点で、日本は「非西洋言語圏では数すくない幸運な言語事情の国」だと著者は書く。しかし、「日本語でわたしたちは残念ながら、日本以外の国の人々に語りかけることがほとんどできない」。そのかたわらで、著者は日本語を手放すことができない。」
「「日本語でぎりぎり手の届く、ある不明瞭な領域に、英語では手が届かない気がする」ことから、著者は日本語で書くことの意味を考えようとする。」
とかとか。思いっきりコピペしました。すみませーん。書評の全文はこちら↓
http://mainichi.jp/shimen/news/20140119ddm015070007000c.html
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wadako
at 2014-01-21 18:06
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こんにちは。
国際化した社会の最先端がEUなので、EUで当たり前になっていること、問題になっていることを見れば国際化がいかなることなのかがたいてい理解可能です。ひとことで言うと「共通化」です。日本語は共通化できませんが柔道は共通化をしています。ですから、国際人、というのは内面に「共通化した部分」をより多く持っている人です。ただしそれはユニークさと併存します。
国際化した社会の最先端がEUなので、EUで当たり前になっていること、問題になっていることを見れば国際化がいかなることなのかがたいてい理解可能です。ひとことで言うと「共通化」です。日本語は共通化できませんが柔道は共通化をしています。ですから、国際人、というのは内面に「共通化した部分」をより多く持っている人です。ただしそれはユニークさと併存します。
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mitsugu-ts at 2014-01-22 06:12
wadakoさん、なるほど「共通化」ですか。おもしろい定義ですねー。ユニークさと併存する共通化、というのは、僕が本文中に書いた事と共通しているように思います。なるほど!
by mitsugu-ts
| 2014-01-15 18:18
| イタリア文化・日本文化
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Comments(7)